今日からお天気崩れるそうで…いよいよ冬が近づいている感じですね~((+_+))
「土日お休みだったから、ハウスの椎茸がすごいことになってる~」と朝から椎茸担当の職員は嬉しい(?)悲鳴を上げて走り回ってましたので覗きに行ってみると…
秋菌のシイタケは実が締まっていて、コリコリした触感でとっても美味しいんだそうです!
さてさて、今日大きいのはシイタケだけじゃなかった!!
あ、申し上げておきますが、秋遅くにダメ元で種から植えたさくらが丘大根ではありませんよ(´▽`*)
「さくらが丘の大根どれくらい大きくなりましたかね~?」
「ゴボウです。」←施設長
「え?」
「先週一応一本掘ってみたんです。ゴボウでした」
「どうして…同じ桜ヶ丘地区なのに……」←悲しみを通り越してむなしさが…
<今日の給食>
羽黒牛乳さんは…というのも変ですね、実は私の家の稼業なのです。もう両親も高齢になり冬場の配達業務も大変になりこの度11月をもって廃業することになりました。うちのことですがとても残念に思っていたのですが、どうすることもできず…(T_T)。先日羽黒町内の宅配先には辞めるお知らせを配ったのですが、長年飲んでくれていたお客様がツイッターにもう飲めなくなることを惜しむメッセージを載せて下さってビックリ!父に見せたら嬉しかった様子で、3代90年に渡って頑張ってきた歴史の重みと、美味しいビン牛乳の記憶が誰かの懐かしい思い出に残せるお仕事って改めていいな~と感じました。
利用者さんに牛乳の感想が聞きたくて、
「今日で羽黒牛乳飲めるの最後なんだけど、昭和6年頃からやってたんだって~」
「え?日中戦争のころですか?!」←利用者さん
「え?そんな昔なの?!」←自分で聞いておいて改めてビックリ(;゚Д゚)
調べてみると、昭和6年は「満州事変勃発」で日本が戦争に向かっていく真っ只中…
そんな時に、羽黒町の手向では広い土地で牛を飼って乳をしぼり牛乳屋を始めていたのですね~(´・ω・`)
「羽黒牛乳といえば、農協牛乳の10枚分だったもんね」←施設長
「なんですか?それ?」
「小学校の時カードゲームとかなかったじゃん、牛乳瓶のフタをカードのように集めて交換して遊んでたんだよね。ちなみに、鈴木牛乳と阿部牛乳が5枚分で羽黒牛乳1枚と交換だったよ~それくらい羽黒牛乳はレアだったんだよ~」
へ~私の知らないところで、鶴岡市内の子供達はそんな仮想通貨的なゲームをしていたんですね~(´▽`*)(じゃあうちにある大量の未使用のフタはいったいどれくらいの価値だったのかな~?)
新人職員さんにもまたインタビューしてみました~(´▽`*)
「どうだ~羽黒牛乳~?」
「とっても美味しいです~」
「んだんでろ~んだんでろ~」←デジャブ
「ビン牛乳なんて、幼稚園ぶりです~」
「幼稚園……うちらなんて小・中・高(?)ずっとビンだし~、給食で紙パックなんて経験ないよね~?」
「なんでこっち向いて言うんですか?確かに紙パックは飲んでないですけど~!」
チャンチャン!
ふふっ(=゚ω゚)ノ
<番外編…さくらが丘大根の会話の続き>
「もう雪かぶっちゃったら、大根なんて終了じゃないですか!(なんでもっと早く種まかなかったの!)」
「え~雪かぶってから春までが本領発揮なんじゃん~」
「え~どっから栄養取るんですか?!(凍み大根か?!)」
「土からだよ~大きくなるよ~春まで~」
「…」
<番外編…牛乳キャップの話>
「でもさ~、中には未使用のキャップのフタ持ってる奴がいてさ~、どうやって手に入れたんだろ~って不思議だったけど、それ欲しくてさ~。牛乳飲むときもさ~爪で開けるけど、もう極力ふちの紙がめくれないようにそ~っとそ~っと取ってさ~、きれいに洗って乾かしたりして、けっこう手間かけてたんだよ~。キレイにしないとキャップため込んでる机の中がすげー臭くなってさ~…あんちゃらこんちゃら~……」←こうなると話が長い…
そんな話を上の空で聞きながら…そういえば、時々知らない男の子(多分市内の子)が突然工場に来て「牛乳キャップ譲ってもらえませんか?」って父に直談判してたな~。あれってきっとそれに使うためだったのだろう…でも…
「なんで、まだ使わいる(未使用)キャップやったなや!?もったいない!」←母ヽ(`Д´)ノプンプン
「い~ろや別に、こげいっぺあるあんし、10枚くらいしかやってね~ぜ~」←父
「10枚もやったながや!!」←母しつこい
…なんか揉めてるな~たかがキャップくらいいいじゃんね~と子供心に思った記憶が蘇った…
今でも全国各地から子供が一生懸命書いたお手紙と返信用の封筒が送られてきます(´▽`*)
「ぼくは、ぎゅうにゅうがだいすきで、キャップを、あつめるのも、すきです。キャップください。」
なので、辞めてからも未使用のキャップはしばらく保管しておこうと思います。